悟り

こんにちは^^。hitomiです。

 


GERBERAの中の、私のプロフィールにもありますが、

31歳の時、私の人生は変わりました。


いわゆる「悟り体験」と言うのでしょうか。


突然、この世の真理を思い出したのです。


今日は、その時のことをお話したいと思います。



私は幼い頃、ほんの幼稚園の頃から、
「この世で生きる」ということの意味がよく分からなくて、とても苦しんでいました。


今思えば、当時からすでに、

霊的な感受性が、人よりも少し、強かったのかもしれません。


人の中にある怖さが見えてしまい、人に接するのが恐ろしくて、仕方がありませんでした。


中には、たましいの光が輝いている素敵な人もいましたが、
やはり、この世の大半のたましいは、その光に蓋をする暗い影を背負ってあがいており、
もちろん、私もその一人でした。


「こんなにツライ思いをしながら、人はなぜ、それでもこの世に生きなくてはならないのだろう…」


自分や人を覆う影に怯えながら、いつも、そんなことを考えている子供だったんです。

 


小学生になって、おこづかいをもらうようになると、私は占いの世界へのめり込みました。


「自分がこの世に生まれてきた意味」を、どうしても知りたかったのです。


おこづかいをもらうと、すぐに本屋さんへ行き、新しい占いの本を買ってきました。


当時はまだ、パソコンなんてものもなく、
天文歴を使った複雑な星の計算を、覚えたてのひっ算を使って計算し、
詳細なホロスコープを、作ったりもしていました。


ホロスコープに限らず、四柱推命、数秘術、手相…、ありとあらゆる占いを研究し、
大人が読んでも難しいような本と格闘したり、

星を導き出すための複雑な計算を、日々コツコツとこなしていたのですから、

学校の成績が良かったのも、ある意味当然なのかもしれません(笑)。


ただ、占いによって「自分」というものが分かってきて、

世の中には様々な個性を持った人がいるのだ、ということは分かってきましたが、


でも、「そもそも、なぜ人はこの世に生まれてくるのか」という大命題には、占いも答えを出してはくれませんでした。



宇宙学や哲学、宗教、思いつく限りの様々な分野に、その答えを求めましたが、
高校生辺りになると、「答え」を得ることにあきらめも見え始め、


私は、「自殺」ということを、しきりに考えるようになっていました。


何が不満なわけじゃありません。


ただ、「生きる意味」が分からないままで生きていくことが、
どうにもむなしく思えて、仕方がなかったのです。


自分は単に、息をして、食べて、眠る、ただの生物であって、
本当に「生きている」とは、言えない気がしたのです。



大学生の時には「自殺願望」もピークに達し、
特に、お酒が入ると破壊衝動が増して、友人には度々迷惑をかけました。

 


結局、「自殺」するほどの勇気もない私。


それになぜか、心の奥底では、「自殺はいけないことだ」と、言い切る自分がいる。

 


「生まれてくる意味が分からない」


でも、「死んでもいけない」


一体、人間って何なのだ…??



本当に、もがき苦しみました。


すべてが、ただただ、虚しくて仕方がありませんでした。



そして、私は28歳で結婚し、なんとなく幸せな気持ちになって、
何の問題も解決していないのに、流されるように、ただ淡々と生活していました。


もう完全に、「世捨て人」のような感覚でした。

 

悪い意味で。

 


そんな私に、大きな衝撃が走りました。

 


30歳の時、とてもとても身近な方が、自殺をしたのです。



ショックでした。

 


おまけに、故人の感情が私の中に入ってくるという、初めての体験をし、
それは、例えようもないほど、悲しい感情でした。

 


自殺をしてしまったことへの、深い深い後悔、


愛する人々と、離れ離れになることへの悲しみ…。


私が想像していたものとは、似ても似つかない、


「なんていうことをしてしまったんだろう!!!」という、


それはそれは後悔に満ちた、悲しい感情でした…。

 


そして私は、心の底から、「やはり自殺はしてはいけないことだ」と、思ったのです。



でも、「なぜ?」


「なぜ自殺をしてはいけないの?」

 

「なぜ後悔をするの?」


私はまた、深い深い心の闇に沈み込み始めました。

 


「人は何のために生きているのだろう?」


「なぜ自殺をしてはいけないのだろう?」


幼い頃の純粋な問いが、再び戻ってきました。

 


毎日毎日、考えました。


色々な本を読みあさりました。

 

江原啓之さんの本に出会ったのも、この頃です。


でも、何を聞いても何を読んでも、どうしても納得がいきませんでした。



そんな時に、1冊の本に出会いました。


それは、太陽と月だけを取り上げたホロスコープの本なのですが、
私と同じパターンを持つ有名人の中に、「エドガー・ケイシー」という人物の名前があったのです。


世界的にとても有名な方なのですが、当時の私は、まったく聞いたことのない名前でした。


ただ、「催眠透視者」という肩書きに興味を持ったのと、
なぜか、その名前が頭から離れなかったこともあり、その方の本を、試しに一冊買ってみました。



そして、興味深くその本を読み進めた末の、2005年4月のある夜、


私はお風呂に入りながら、その本の最後の部分を、読み終わろうとしていました。


私は、お風呂で本を読むのが、昔からの癖なのです(笑)。


その本の最後の部分に、エドガー・ケイシーが催眠状態で残した、いくつかの言葉が書かれていたのですが、
その最後の最後に、こういう言葉があったのです。

 


「苦しみに満ち、血で汚された世界ではあるが、あなたの祈り、あなたの祝福が新しい希望をもたらすのだ。

 

 そしていつか地上に喜びが溢れ、人々の間に平和の花の咲く日が来るだろう」

 


この文章を、読み終わった瞬間です。

 


私の頭の中の何かが、パーッと弾けました。

 


自分の頭から宇宙へ向かって、何かが広がり、

 

宇宙全体と私の頭が、完全につながったんです。

 


浴室の天井が、なくなった感じ。


浴室にいるのに、私は宇宙を見ました。



私は、呆然となって、宇宙を見つめます…。


宇宙は、青く蒼く澄み渡り、どこまでも大きく広がり、


そして、その宇宙には、多くの愛に満ちたたましいが、充満しているのを感じました。


そのたましいたちは、静かに威厳を持って、

しかし、とてもとても温かく、この地球を、そして今の私を見守っています…。



そのとき、私は、すべてを思い出したんです。

 


そうだ…!


私もかつて、この宇宙の中にいた!


そして、自ら望んで、この地球に生まれてきたんだった!


それは、自分のたましいを磨くため、修行をするためだった…!

 


ああ、そうだった。


私は、「たましい」なんだ!


この世はすべて、仮の姿なんだ…!

 


すべての人は「たましい」であり、

たましいは、もともと一つで、みんなつながっているんだ!

 


私は一人じゃなかったんだ…!



私は、お風呂の中で、それはそれは激しく、泣きじゃくりました。


すべてを思い出したことが嬉しくて、


宇宙の大いなる愛に包まれていることを、思い出せたことが嬉しくて、


この世に生まれたことの意味を、思い出せたことが嬉しくて、


宇宙のあまりの大きさに感動して、


そして、今まで31年間悩みながら、でも真剣に生きてきた自分が愛おしくて、


ワンワンワンワン泣きました。

 


特別な私になろうとするのではなく、

私はただ私であることだけで、十分に祝福される存在だったのだ…。

 


「個」は「全」であり、「全」は「個」なのだ…。

 


すべてのたましいの根本は、愛と光なのだ…。

 


「生きている」、そのこと自体に大きな意味があるのだ…。



そして、再び目を開けたとき、

私は、今まで白黒だった世界が、急に色つきになったように感じました。


世の中は、こんなに鮮やかだったかしら…?


生まれてから31年間、目を閉じたまま生きてきて、今やっと、その目を開いたような感じ。

 


「私は生きている」という実感、その喜びが、心の底から湧き上がりました…。

 



私は、この瞬間に、本当の意味で、この世に生まれました。

 



それ以来、私の視点は、すべて宇宙からの視点に変わってしまいました。


人格も、まるで別人です。


今まで、大きなおうちのたった一部屋で生きていたのが、急におうち全体を、自由に歩き回れるようになった感じです。


自分も人も、「たましい」の状態で、見ることができるようになりました。


そうすると、この世のすべての人に、愛を感じます。


色々な人と出会い、喜んだり悩んだり、泣いたり笑ったり、

この世で生きている、そのこと自体がとても素晴らしいと、心から思えます。


そして、いつも宇宙から私たちを見守る愛の存在を感じ、感謝の念を覚えます。



「悟り」がお風呂で訪れた、なんて、聞いた方は皆さんビックリされます(笑)。


でも、私の人生を、誰よりもよく知る私にとっては、それはとても必然なことに思えます。


それに、「裸で水の中にいる」という状態は、母親の羊水に包まれていたときに似て、新たな誕生にふさわしいようにも思えます。


お風呂からザブリとあがった私は、文字通り「生まれ変わった」のですから…。

 


「悟り」のきっかけになった文章についても、とても大切な言葉だけど、今では何の衝撃も受けません。


きっと人それぞれ、「悟り」のきっかけやタイミングというものが、あるのでしょうね。



ただ、よく勘違いされるのですが、

「悟り」を得たからといって、急に聖人になれるわけではありません(笑)。


悩みもすれば、怒りもします。

泣くこともあります。

 


ただ、その「意味」が分かるのです。

 


どこへ向かっていけばいいのかが、分かるのです。

 


お釈迦様の言葉に、こんな言葉があります。


「悟りとは、修行の最終目的ではなく、究極の目的は、すべてのものを悟りに導くこと。


 悟りを、日々の生活の中で実践すること。」



私の修行の日々は、まだまだ続きます。

 

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